profile

○いけのんって誰?

法政大学法学部法律学科を卒業後、日本での就職や大学院進学ではなく、XIP(Cross-Border Incubation Platform)へ参画。ベトナム語学科でもベトナム語が話せるわけでもないけれども、未知のフィールドへ飛び込もうとベトナムへ渡り、現地起業家の経営支援を、日本のビジネスプロフェッショナルとともに行っているハバタク系男子。

○プロフィール

名前:池野真史(いけのまさし)
出身:新潟県新潟市秋葉区(旧新津市)
生年月日:1988年12月5日

≪座右の銘≫
"Where there's a will, there's a way."

≪人生の目標と行動軸≫

"Beyond the Border."

身分・地位・国籍・学歴・居住地域・外見・能力etc、様々な枠を超えて人を繋げ、価値観を尊重し知恵を共有し、世界の課題を解決したり、昨日よりちょっと幸せな明日を連続して創っていくことで、次の世代に胸をはって引き継げる世界を創りたい。
そのために、自分自身が枠を超えて行動することで、きっかけを作っていきます。

○なんで新卒一年目で海外で働くという選択肢をとったの?

一番大きな理由は、異文化を経験しながらのコアスキルの習得ができるから、です。
自分のキャリア形成において、海外出るならまずは今出るべきだ、と判断しました。

就活では、日本酒や新潟やインターン経験などなどをネタにコミュニケーションやらPRのプロに~、とか散々就職してからなりたい像を語っていましたが、新卒一年目なんて、よっぽど大学時代に専門を磨いた人以外は大したことはできません。

専門スキルを身につける以前に、コアスキルを磨かなければいけないことを、とある企業のインターンで口をすっぱくして言われました。

どういうことか?
サッカー好きなのでサッカーで例えますと、ボールを蹴る・とめるという基本動作もままならないのに、いくらメッシのプレー研究して真似しようが、雑誌や専門誌読んで知識つけようが、試合ではまーーーったく使い物にならない、ということです。
例えば、野球部の人が、ジダンのルーレットを真似して、それだけできるようになったとしても、サッカーの試合で使えるかといったらそうじゃないように。

メッシやイニエスタなどなど世界の一流選手を見ててもわかるとおり(別にバルササポじゃないですよw)、上級テクって、結局のところボールを蹴る・止めるという基本を完璧にこなしているから活きるんですよね。

ビジネスも一緒だと思います。
コアスキルなしに、PRだコミュニケーションデザインだのなんだの言っても始まらないと思うのです。

もちろん、日本の大企業でもコアスキルは磨けます。でも、あえて、海外に出たのは、言葉の通じない・自分の生きてきた世界とは全く違う世界でも切り抜けられるようにコアスキルを磨きたかったからです。

XIPに参加したのは、大企業で働き新人研修もしていた信頼の置ける人が上司になって指導してくれることに加え、海外という未知の環境でもコアスキルをいかして道を切り開いていく突破力をつけたいと思ったからにほかなりません。

自分の将来やりたいことを達成するために、この突破力がなによりも必要だと思ったから、新卒一年目、コアスキルをしっかり身につけるという段階で海外で働こうという決断をしました。

あ、最後はやっぱりサッカーで締めさせてください。

"二流の選手は環境の変化に対応できない。
一流は、それに逆らわない。
そして、超一流は、それを利用する。"(漫画:ファンタジスタ)


○なんでベトナム?

最大の理由は、"日本に対する危機意識"を芽生えさせてくれた国だからです。

大学二年生の時、「海外で働くのって実際のところどーなの?」というテーマで、当時ベトナムで働いていた年上の友人を伺いました。

その時感じたベトナムの人たちの言葉では表せないアツさ。
英語で自分の夢を語るベトナム人の少数民族出身の若者。
ベトナムでの中韓のプレゼンスの大きさ。

言葉では言い表しがたいあの空気に私は圧倒されました。
NPOで途上国支援に関わっていたので、当時は途上国に対してはGiveするという意識が高かったのですが、根底からそれを覆されました。

いつか、日本がgiveされる日がやってくるのではないか・・・。

この旅のあと、東南アジアでNATOと言われる日本人(→詳しくはこちら)という記事を読んで、ますます危機感が高まっていきました。
この記事を読んだあと、実際にミャンマーにも行きましたが、現地の人や空港で出会った出張中のアメリカのビジネスマンと話をしていて、ますます危機意識が高まってきました。

このままで大丈夫か、日本。

内向きな若者が増えている、と言われていますが、私の周りは割と海外志向が強く、バンバン留学したり海外インターン・海外勤務をしている友人が多かったのであまり危機意識を感じることはなかったのですが、実際に東南アジアに行ってみてその意識は変わりました

そこで、こうした意識を芽生えさせてくれたきっかけの国ベトナムで、日本人として、いや一人の人間としてチャレンジをしようと、飛び込むことに決めたのです。


○プライベートでやりたいこと

たくさんあるのですが、特にやりたいことは二つあります。

1.ベトナム(ハノイ)と新潟でco-creationする機会を創る

なんで新潟にこだわるのか、理由は二つあります。

私は、大学で東京に出るまで新潟で育ちました。
故郷のために何かしたい、という思いで大学時代、新潟ではFuture Center Niigata(詳しくはこちら)という新潟の未来を共創するためのを立ち上げ地道にワークショップを行い、東京では東京に住む新潟人と一緒にふるさと応援するためのプロジェクトや活動をしてきました。

ハノイに来ても、今までと気持ちは変わりません。世界のどこにいても、自分のふるさとに貢献していきたい。たとえ国境を越えていても誰もが自分のふるさとに貢献できたらいいなぁ、と思っています。
疲弊してるといわれる地方ですが、スキルを持った故郷likersは日本・世界各地にいるのです。そうした人たちが空間というハードルを乗り越え、互いにつながりあったら何か新しい素敵なコトやモノがうまれるんじゃないかなと考えています。

二つ目は、ちょっと小難しい話ですが、FTAやTPPのように国家間で繋がりグローバル化が進む中、私は、もっとミクロに、世界の都市間や農村間でもっと交流・連携を深めていくことでマクロな変化にもより柔軟に対応できるのではないかと考えています。
トランスローカルとして、共通項を持った地域と地域が国境を越えて繋がり、課題解決を共同して行ったり新しい価値を生み出していったら、世界がちょっぴり楽しくなるんじゃないかな、と思っています。


2.日本の子どもとベトナムの子どもが一つの経験を共有できるような原体験を作り出す

インターン時代に、東京のとある女子高で授業のコマを借りて、3ヶ月間ITを使用した遠隔での国際交流プロジェクトを行っていました。

プロジェクトが無事終了した時に、ある女子高生が言った言葉が心に残っています。
「お互いの文化の違いに気づくことで、自分の文化のことを深く知るきっかけになり、同時に相手の国の文化をもっと知りたくなった!」

この女子高生とベトナムの学生のように、国籍も年齢も専攻も違う学生たちが、試行錯誤しながらコミュニケーションをとり、目標に向けて協力し合う様子を見ていて、もっとこうした機会を、ボーダーを越えてお互いを尊重し合いながら、協力しあって新しい価値を創り出していく、そんな未来のきっかけとなる原体験をもっと作りたいな、と考えています。

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